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トゥキュディデスの神託
加納哲夫
『トゥキュディデスの神託』要旨
紀元前五世紀後半(前431~前404)、ギリシア諸ポリスを二分してアテナイ側とラケダイモン(スパルタ)側との間で戦われたペロポネソス戦争を克明に描いた『歴史』の著者トゥキュディデスは、事実に基づく厳正かつ論理的な歴史叙述で知られる一方、神託をはじめとする予言の類には信を置いていなかったとの見方が一般的である。本当にそう言えるのであろうか。
この論文では『歴史』で言及されている神託のすべて20例を検討し、トゥキュディデスにとって神託とはどういうものであったかを明らかにする。
一つ目として指摘できるのは、トゥキュディデスは当時出されていた神託に多大の関心をもっており、戦争の進み行きに従って神託に対する民衆の見方が変化していく過程を明らかにしている点である。それは、戦争前の「希望の神託」、戦争後間もなくアテナイに疫病が蔓延した時の「役立たずの神託」、アテナイのシケリア遠征が大失敗に終わった時の「怒りの対象の神託」から伺える。
二つ目は、戦争勃発前において戦争の原因やその帰趨に関わる神託を取り上げて歴史叙述に重要な役割を担わせている点である。それは、戦争の遠因に神託が関わっていたことを示し、また戦争の帰趨を占うものとして、ラケダイモンには「全力を尽くすなら勝利はラケダイモン人のものとなろう」との神託が下されていたと記していることから知ることができる。
三つ目は、トゥキュディデスが検討に値すると考えて自らの解釈を行っている神託については。神託を信用していなかったとの結論は引き出し得ず、むしろ信を置いていたとみるのが妥当であるということである。それは戦争が27年間続くとの神託があったことに対し、トゥキュディデス自身も途中の平和期間は本当の平和とは言えず、戦争は27年間続いたとみるべきであるということを神託に強く依拠して自らの主張を展開していることなどから窺い知ることができる。
四つ目は、戦局の記述が当該地に及ぶ時その地にまつわる神託に言及して、語りを豊かにしていることである。
以上からわかるとおりトゥキュディデスは神託にかなりの関心を持ち適切な個所で神託に言及し、解釈が問題になる重要な神託については、神託に信を置いて自らの解釈を示しているのである。