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学園坂出版局ではジャンルを問わず、さまざまな書き手によるエッセイを掲載していきます。第1弾は、異色の福祉施設職員・ユリコさん。音楽や法学を学び、パレスチナでボランティア活動もされていたというユリコさんのふわりとした文体、それでいて実は思考の緊張を強いられるテーマ。わたしたちは果たしてこのエッセイからどんなことを汲み取れるでしょうか。全10 回を予定しています。

​掲載日.2022/11/10 essay No.5

家族について考える 5

ユリコ

宗教2世と3世と

 

今年4月に人事異動があり、私は今年度から「家庭支援専門相談員」になった。家族と離れて生活する子どもたちとその家族との関係づくりを支援する仕事だ。事務職員だった時に「もっと子どもと関わる仕事に戻りたい」と上司や施設長に何度も相談していたところ、「やってみないか」と声をかけられてチャレンジすることになった。今まで経験してきたどの仕事とも異なる仕事で、福祉職の経験が殆どない私にとっては勉強しなければならないことも処理しなくてはならない仕事の量も多すぎて、完全に自分のキャパオーバーだなと自覚しつつ、再び子どもたちと関われる仕事に就くことができたのが嬉しくて、同僚や先輩に助けられながら毎日なんとかどうにか仕事をしている。

少しは新しい仕事に慣れてきたかな、と思い始めたところ、秋口あたりから疲れが溜まりやすくなってきた。4月から手探り状態で全力疾走しっぱなしなので、さすがに疲れが出てきたかな、もう少し慣れたら力の抜き方も徐々に分かってくるだろうからもう一息かな、など思っていたところ、とある会議中に息苦しくなって事務室にいられなくなった。少し外へ出て深呼吸をしながら散歩をして息を整え、その時は落ち着いたものの、胸と頭に痛みが残ってその後数日間はうまく頭が回らなくなった。理由は分かっていた。会議で話されていた内容がきっかけでマユミちゃんのことを思い出し、それがきっかけで不意に19歳のときの自分に戻ったようになったのだ。

その時感じたのは「何年もカウンセリングを受けてきて、色々な本を読んで文章も書いて、50歳にもなって、それでもまだこんななのか。どうしてこんなことになってしまうのか、もういいかげんにしろよ」という自分への強い苛立ちだった。その後、一気に自信がなくなって「やっぱり私にはこの仕事は無理だ」「こんな状態だと他の人に知られたら、この仕事を辞めろと言われるかもしれない」という自己嫌悪と不安で一杯になったが、とりあえず、毎日できるだけ早く布団に入って体と頭を休めるようにしていたら、無事に数日で復活した。

しかしその数日後、今度は『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』という漫画を読んだところ、読了後数分経ってから訳の分からない感情の渦がこみ上げてきて号泣。またもやナイーブすぎる自分に苛立つことになった。(体が疲れているとメンタルも弱ると経験上学んでいるのでその日はすぐに寝た。)この漫画は、「『神様』のいる家」で育った私が、様々な当事者の話を知りたくて購入したものだった。夏以降、「宗教2世」のことが話題に上ることが多くなってから、何か気持ちが落ち着かないと思うことが多くなっていた。私の両親は熱心なクリスチャンであるが、反社会的でもカルトでもなく、ミッションスクールの生徒たちがたくさん来ているようなごく普通(普通ってなんだ?)の教会の信者だったので、自分は今話題になっている「宗教2世」の当事者とは言えないだろうと思いながら、どうしても他人事と思えなかった。だから、はじめはなぜ号泣したのか分からなかったが、少し経ってから、この漫画の表紙に描かれた女の子の笑顔が、小さいときの自分自身に重なったからだと気づいた。

これは「幼子のように」神様を信じることができていて、教会の中で沢山の暖かな眼差しに見守られていたときの笑顔だ。そして、それを壊したのは、私自身に他ならない。

私は中学生の頃から礼拝でよくオルガンを弾いていた。私にとっての音楽は「神から与えられた賜物」なのだと家でも教会でも言われていたし、自分でもそう思っていたかもしれない。音大のオルガン科に入学したときは、ちょうど父が働きながら通っていた神学校を卒業したタイミングでもあり、教会の多くの方から祝福されたことを覚えている(その後父は脱サラして牧師になった)。

しかし、十代半ばごろから私は少しずつ「幼子のように」神を信じることができなくなっていた。そんな中で19歳のときに兄の脳に腫瘍がみつかり、伯母が亡くなり、マユミちゃんがいなくなり、お世話になっていた教会の伝道師のMさんが自殺した。様々なことが重なって、それまでの世界観が崩れていった。しかし、両親や教会の人たちは、私と同じ様な悲しみを経験しても、その経験によってより信仰心が篤くなっていくようだった。

教会では、神を信じる信仰自体が神の恵みだと教わっていたから、神を信じられなくなった自分は神の恵みから外れたのかな、と思っていた。悩んだけれど、クリスチャンではない人に相談することは考えなかった。私の両親が信じていた「キリスト教」は「反社会的」ではなかったけれど、クリスチャンの集まりの「中」と、キリスト教を信じていない「外」の世界とのズレは確かにあり、自分は「外の世界」には属していない、という感覚をずっと持っていた。だから、クリスチャン以外の人に相談しようとは思いつかなかったのだ。一方で、教会の人に相談すればキリスト教の枠内の答えが返ってくると分かっていたので、相談するのは意味がないと諦めていた。礼拝に出ていても違和感ばかりが大きくなっていたが、大学生時代の私はオルガンを弾くことで救われていた部分が大きかったので、礼拝に違和感を持ちながらも、音楽が自分に与えられた神からの賜物だと信じていたかったのだろう。だから毎週教会に通い、オルガンを弾き、聖書を読み、祈り、聖歌隊で歌った。(「教会行かない子には学費出しません」と母に何度も明言されていたことも教会に通い続けた理由の一つだったかもしれないが。)

 

このエッセイの1で書いた、駅のホームに入ってくる電車に引き込まれそうになったのは、イースター礼拝が終わって家に帰る時だったのを覚えている。本当は信じていないくせに信じているふりをして、その日もオルガンを弾いて聖書を読んで賛美歌を歌ってみんなに合わせてお祈りをしてイースターのお祝いをして、教会で一日を過ごした日だった。きっと、とても疲れていたのだと思う。

前回書いた通り、大学院1年生のときに体の痺れと痛みでオルガンが弾けなくなり、私は音楽を辞めた。そして、教会にも行かなくなった。どこかで「これは罰が当たったんだ」と思っていた。神様を信じていないのに信じている振りをしてずっと教会でオルガンを弾いていたから罰があたったのだと。おかしな話だ。信じていなければ「罰が当たった」などとは思わないはずなのに、矛盾している。

 

音大を辞めて少し経ってから、縁あって私はパレスティナで支援活動をしている小さなNGOの集まりに参加するようになった。そのNGOの代表者は聖書学者で、「社会学的資料として、批判的に聖書を読む」ための聖書勉強会を主宰しており、クリスチャンもそうでない人も勉強会に参加していた。その人の聖書の話は、教会で聞いていた聖書の話とは全く異なっていた。教会でそれなりに聖書を読んでいたはずだけど、旧新約聖書が書かれた時代がどのような時代だったのか、どの様な人たちが書いたのか、イエスが生きたのはどのような地域でどのような政治体制の時だったのか、彼はどのような教育を受けて、どのような運動をしたのか、どのような人たちがイエスに従ったのか、という話はいつも新鮮だった。教会で何度も聞いてきたはずの「聖句」が、全く異なる意味で理解できるようになり、少しずつ、縛られてきたものから解放される感じがした。

「『主の祈り』っていうのは、イエスの運動に従う人たちが掲げていた、シュプレヒコールみたいなものだと思います」とか、「創造主を神とするっていう思想は、今の言葉に置き換えれば『無神論』ってことですよ。周りの国々が太陽や月を拝んでいた時代に、『この宇宙の中にあるものは全て、被造物に過ぎない』って言ってのけたの、すごいことなんですよ。これは、人間が認識できる世界の外に『神』を放り出したということですからね」という説明をきいて、私はある意味「救われた」のだと思う。自分は「キリスト教」とか「神様」を信じられなくなったと思っており、それがとても大きな問題だと思っていたけれど、自分が「キリスト教」とか「神様」とか思っていたものが、自分のごく限られた経験と知識に基づく、とてもちっぽけな偏ったものであり、そんなものを「信じる」とか「信じない」とかいう問題は、実はどうでも良いことなのだということが分かってきた。学ぶことが、自分を解放することに繋がると知ったのもこの時だったと思う。

それから私は「神を信じる」という言葉を、「自分がこの世に存在していることを肯定しようとする意思」という意味で捉えることにした。そして「永遠の生命を得る」ということを、「何千年もの昔から、様々な時代の中で『最も小さい者』と共にいて、その生命を生かすために働いてきた人たちの営みに連なること」と言い換えることにした。そうしたら少し自由になり、時には教会に行きたいと思うようにもなって、自分の意思で教会に行くこともあった。

しかし、むかし教会でお世話になった知人が6年前に殺され、その事件の衝撃で「シャッターが開いてしまった」(エッセイ1をご参照ください)。それ以降、教会という場に行くと精神状態がどうしても少しおかしくなってしまうことが分かったので、教会に行くことは辞めている。多分きっと、だからこそ、私は「自分が救われるために」児童養護施設に就職したのだと思う。私は今の仕事のおかげで、バランスを取ることができているのかもしれない。

にも関わらず、である。

私は未だにちょっとした刺激で19歳の時の自分に戻って息が苦しくなるし、「幼子のように」信じていた自分を大切に見守って育ててくれた人たちに応えられなかった自分を責め、訳も分からず号泣する。子どもの頃に家庭で教わったことがどれだけ強くその後の人生に影響するのかを思い知らされる。

幼い子どもにとって、自分を守り育ててくれる保護者が教えることは絶対であり、それはいとも簡単に「内心の自由」(憲法第19条)を侵害して心を縛る。「神様」という存在は、人智を超えたものであり、「信仰」は理屈ではない、と教わってきた。しかも、「幼子のように」信じることが良いと教わってきたので、「神さま」について自分の頭で考えたり批判したりすることに罪悪感があり、自分自身でストップをかけようとした。にも関わらず、どうしても信じられなくなった自分を責め、また、信じなくなることで家族やお世話になってきた人たちを傷つけてしまうことになれば、それはそれでまた自分を責める。でもこれは「自己責任」だし、相談してもどうせ誰も分かってくれるはずがないと一人で問題を抱え込む。それこそが問題だったのだということを、この漫画で様々な「宗教2世」の姿を知ることで気づかされた。そして、国家権力が家庭内の教育に干渉しようとする意図と、そこに宗教が絡んでくる意味を改めて考えさせられている。(このことについては、別の機会に改めて時間をかけて考えてみたい。)

話は変わるが、私は自分が母に優しくないと自覚していて、母が可哀想だと思っている。特に母が1年ほど前から体調が悪く、ガリガリに痩せほそってほぼ寝てばかりでいるようで(色々な病院に行って検査をしているそうだが、原因が未だにわからないそうだ)、もう年なので、このままだと後で後悔することになる、もう少し優しくできたら良いのに、と焦っている。しかしコロナのこともあって、ここ3年ほどは実家に帰ることも殆どせずに、時々電話で話すだけである。

 

この文章を書きながら、ふと、母は私よりももっとずっと強烈な宗教2世だったこと思い出した(ということは、私は3世ということになる)。母の母、つまり私の祖母は特殊なキリスト教の一派であり、母の子どものころは、近所で「アーメンきちがい」と呼ばれていたそうだ。母はそんな祖母から逃れるために宮崎の地元から東京に出てきて、東京で「普通のキリスト教」の熱心な信者になったのだろう。それは、私が聖書学者の勉強会に行った経緯と似ていたのかもしれない。
 

祖母は母たち兄弟3人が東京に出てきた後で東京に出てきて、私が幼い頃はその特殊な一派の東京支部の代表として、渋谷のマンションの1室に住み、そこで集会を開いていた。そのマンションは信者が買ってくれたものだと言っていた。(母は、祖母の集会に来ていた元信者の家族から、献金について訴えられそうになった話をしていたこともあった。)祖母は、戦後の混乱期に極貧の中自分一人で3人の子どもを育てることがどれだけ大変だったか、そんな中、普通のキリスト教はきれい事だけを言っていて何の救いにもならなかったという話をよくしていた。だからこそ、祖母はその特殊なキリスト教に頼り、なんとか生き延びてきたのだろう。それが具体的にどのようなことだったのか、残念ながら祖母から話を聞くことはもうできないが、今になってみると知りたいことが山ほどある。

母と伯母(母の姉)はとても仲が良かった。それは、パワフルな祖母から逃れるために、子どもの頃から二人で必死に助け合ってきたからなのだという。だからこそ、伯母が亡くなったときの母の悲しみ方は尋常ではなかった。そして母は、伯母を苦しめたマユミちゃんを自分は許すことができない、と言っていた。あれから30年以上経った今はどうだろう。私は未だにマユミちゃんのことを母と話すことができないので、確認できていない。

私は運良く学ぶことができ、そのことで自分を縛り付けているものから少しずつ解放されてきたけれど、母はどうだったのだろう。私たち兄弟3人の子育てで、それどころではなかったのではないか。いや、もしかすると母は子育てをすることで解放されようとしていたのかもしれない。

祖母は、私の父母のキリスト教は偽物だといつも言っていた。祖母の晩年、母は祖母の介護中に「悪魔!」と怒鳴りつけられたり、「お前に孫ができないのは(つまり、私に子どもができないのは)罰が当たったのだ」と言われたりして苦しんでいた。でも、祖母が亡くなった今では、母は祖母の悪いところは語らず、良いところ、楽しかった思い出だけを話すようになった。

来週、とても久しぶりに実家に行く。未だに母は(父も)、私が教会に行っていないことを心配してさり気なく訊いてくる。それがとても面倒で反射的にイライラしてしまうし、会ったからといって急に何か深い話ができるとも思えない。でも、今回少し整理できた後で会いに行くことで、ある種の和解みたいなものが自分の中で実現できるかもしれない、そうしたらもう少し優しくなれるかなと思っているところである。

 

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参考文献

1 『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』(菊池真理子著、文藝春秋刊、2022年)

2 『国家がなぜ家族に干渉するのか 法案・政策の背後にあるもの』(本田由紀/伊藤公雄編著、青弓社、2017年)

ユリコ:1971年生。法律事務所の秘書、小さなNGO団体の一人事務局員、子ども英会話教室の講師、大学事務の仕事を経て、現在は児童養護施設で働いています。

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